認定npo法人 未来といのち

認定npo法人 未来といのち 人間のいなくなった福島第一原発事故避難区域にとり残された「いのち達?

2011年3月11日から、放射能の高い地域で動物の救済をしてきたメンバーが合流し、福島県で生活をしている人の協力を得て、未来といのちを設立しました。私たちの今までの体験を、未来の人たちに、事実の記録として伝えたいと思います。はじめは、放射能の影響から途絶えてしまった福島県の物流状況を知り、食料などの物資を運んだりしていた者もいます。何かできることはないかと現地に出向いた者たちは、人のいない地域で腹を空かしたペットや家畜がさまよう光景をたくさん目にしました。
命あるものを助けたい、少なくとも苦痛から救いたいたいという思いが、メンバーそれぞれの共通した原動力です。
そして、振り返ると、原子力発電所の事故の現場とその周辺には、沢山の忘れてはいけない事実と、沢山の教訓がありました。私たちの活動を通して、それらを多くの人たちにを伝えられたらと願います。そしてこれから何十年もこの放射能の影響があるという現実が続いていきます。その中で小さな命を助けるだけでも、いろいろな事に取り組まなければなりません。一緒に考えてください。

帰還困難区域、16回目の秋に 振り返り 〇F1事故で、放射性物質は、原発立地のない北西の山里に流れました。隣接する飯舘村長泥と浪江町津島。山に人家の点在する2つの地区の様子です。〇長泥は汚染土の再生事業を受け入れて新たな地域社会を築こうとし...
20/09/2026

帰還困難区域、16回目の秋に 振り返り 

〇F1事故で、放射性物質は、原発立地のない北西の山里に流れました。
隣接する飯舘村長泥と浪江町津島。山に人家の点在する2つの地区の様子です。

〇長泥は汚染土の再生事業を受け入れて新たな地域社会を築こうとしていますが、旧来の故郷の景色はなくなりました
(詳細は環境庁HP などを参考に)。
〇2011年6月に初めて帰還困難区域のゲートが長泥にできました。

〇津島地区は面積の1.6%が復興の牽引役として除染された地域以外は帰還の目途が立ちません。大自然と共存し、車や農業の機械を使いながら便循環型の生活をしていた山里です。

〇津島の手七郎部落~白追は、豊かな森と水、箒で掃くくらい蛍が居て星を眺めて寝ていたそうです。

私たちはたまたま飯舘村役場に物資を届けて屋内退避の方々と知り合い、地元の方に残されたペットのいる場所を案内されながらこの地に出会いました。この地の方々は先祖代々の土地を大切にしていらっしゃいます。

写真・文責: 認定NPO未来といのち

帰還困難区域16回目の夏F1事故の放射能汚染でできた立入禁止で住めない地域が原発の無い町や村に拡がります。◯浪江町津島は赤松の林業、花崗岩の石材業や循環型の農業を生業に、1400人が住む山里でした。立入禁止区域のまま今は1.6%の面積だけの...
13/09/2026

帰還困難区域16回目の夏

F1事故の放射能汚染でできた立入禁止で住めない地域が原発の無い町や村に拡がります。

◯浪江町津島は赤松の林業、花崗岩の石材業や循環型の農業を生業に、1400人が住む山里でした。立入禁止区域のまま今は1.6%の面積だけの除染され住める地区に20人が暮らしています。

無人になり、放射性物質の入る黒い袋が目立ち、森は暗くなり、荒れていきます。

それでも故郷を守りたい人達が100年先には帰れるようにと土地を守っています。

写真、文責 認定NPO未来といのち

15年前。東日本大震災で地震、津波、原発事故が起きた浪江町の海岸です。放射能の影響で津波に流された人の救助が出来ず多くの方が亡くなりました。今は放射能の影響もなく、今年は海開きがありました。青森県や千葉県から学生さんが支援にいらしたり子供た...
27/08/2026

15年前。東日本大震災で地震、津波、原発事故が起きた浪江町の海岸です。放射能の影響で津波に流された人の救助が出来ず多くの方が亡くなりました。

今は放射能の影響もなく、今年は海開きがありました。
青森県や千葉県から学生さんが支援にいらしたり子供たちが楽しそうに遊んでいました。

希望を感じます。

久しぶりの投稿です。浪江町小丸の帰還困難区域では原発事故の殺処分を逃れ、地元の人たちの優しい心で生かされている牛たちが元気に草を食んでいます。人懐っこくてまるで猫のように甘えます。
27/08/2026

久しぶりの投稿です。
浪江町小丸の帰還困難区域では原発事故の殺処分を逃れ、地元の人たちの優しい心で生かされている牛たちが元気に草を食んでいます。

人懐っこくてまるで猫のように甘えます。

< 福島活動報告 文化と歴史の故郷 >             ー 2026年 浪江町の帰還困難区域・津島ー〇15年を過ぎても故郷へ帰れない浪江町の山間部。文化と歴史があり、便利さを受け入れながら伝統芸能や冠婚葬祭などの儀式文化を200年以...
19/05/2026

< 福島活動報告 文化と歴史の故郷 >
ー 2026年 浪江町の帰還困難区域・津島ー

〇15年を過ぎても故郷へ帰れない浪江町の山間部。文化と歴史があり、便利さを受け入れながら伝統芸能や冠婚葬祭などの儀式文化を200年以上も地域で受け継いでいました。蔵座敷、古民家、通り門、婚礼や葬祭用の道具や生活用具、、そしてそれらが日常の中うけつがれていました。人の繋がりを大切にして成し遂げていたのです。

〇子供たちは気づくと田植踊を踊れました。葬祭も地区で協働していました。自然と共存した農業や林業、石材業など多くの種類の生業があり、子供にも大人にも必ず居場所がありました。

〇今まだ帰れない故郷。それでも時々復興拠点で行われる祭り事に、避難先の新しい家で生まれた子供たちが参加しています。100年先の人達に故郷を残そうとする人が少なくありません。

文責:NPO未来といのち
写真:馬場靖子・小久保雅弘・NPO未来といのち

<福島活動報告/浪江町の避難地区/葛尾村、川俣町山木屋>〇2011年の地震、津波、原発事故から15年。帰還困難区域として居住ができない地域が阿武隈高地の山間部にあります。農業、林業、石材業で生計を立てながら伝統芸能や儀式を守り、人のつながり...
10/05/2026

<福島活動報告/浪江町の避難地区/葛尾村、川俣町山木屋>

〇2011年の地震、津波、原発事故から15年。帰還困難区域として居住ができない地域が阿武隈高地の山間部にあります。農業、林業、石材業で生計を立てながら伝統芸能や儀式を守り、人のつながりを大切にしながら大自然の中で穏やかに生活をしていた地域です。美し場所です。

〇浪江町小丸、津島はまだ帰還困難区域です。
葛尾村は2016年に一部を残し、川俣町山木屋は2017年全域が避難解除されています。

〇どの地域も人のつながりを大切にしながら循環型の農業や林業を行っていた美しい場所です。

<福島活動報告/原発事故避難/伝統芸能と桜>〇浪江町津島。美しい高原で子供たちが『今いる家で食事ができる』『どこの家の耕作地でも遊べる』ような暖かい社会でした。自然と共存し、人の繋がりを大切に、伝統芸能や儀式文化を継承していました。福島第一...
10/05/2026

<福島活動報告/原発事故避難/伝統芸能と桜>
〇浪江町津島。美しい高原で子供たちが『今いる家で食事ができる』『どこの家の耕作地でも遊べる』ような暖かい社会でした。
自然と共存し、人の繋がりを大切に、伝統芸能や儀式文化を継承していました。
福島第一原発から約30Km、発災当時の人口は1400人ほど。
〇震災から15年、復興拠点という一部の生活可能な地区があり、各地に離散した住民が『桜まつり』でお花見や桜の撮影会をしています。
無人でも、美しく花を咲かせてきた桜。鶯の鳴き声と小川のせせらぎと一緒に故郷に帰る方々を待っているようです。
〇伝統芸能の庭元の枝垂れ桜は、子供たちの3匹獅子舞の出発を見守っていました。
でも、、3匹獅子舞や田植踊、神楽など多くの演目が200年以上も継承されていた伝統芸能は地域社会が離散して、型の記録の保存だけでも容易ではありません。
〇学園祭や運動会の賑わいが戻る日はないかもしれません。
〇ここは、『人のつながり』『自然と共存した生活』を大切に暮らしがありました。
故郷を、100年先の子孫に残そうとしている人たちが少なくありません。
写真:馬場靖子/認定NPO未来といのち
文責:NPO未来といのち

<福島活動報告/原発事故避難/伝統芸能と桜>〇浪江町津島。美しい高原で子供たちが『今いる家で食事ができる』『どこの家の耕作地でも遊べる』ような暖かい社会でした。自然と共存し、人の繋がりを大切に、伝統芸能や儀式文化を継承していました。福島第一...
06/05/2026

<福島活動報告/原発事故避難/伝統芸能と桜>

〇浪江町津島。美しい高原で子供たちが『今いる家で食事ができる』『どこの家の耕作地でも遊べる』ような暖かい社会でした。
自然と共存し、人の繋がりを大切に、伝統芸能や儀式文化を継承していました。
福島第一原発から約30Km、発災当時の人口は1400人ほど。

〇震災から15年、復興拠点という一部の生活可能な地区があり、各地に離散した住民が『桜まつり』でお花見や桜の撮影会をしています。
無人でも、美しく花を咲かせてきた桜。鶯の鳴き声と小川のせせらぎと一緒に故郷に帰る方々を待っているようです。

〇伝統芸能の庭元の枝垂れ桜は、子供たちの3匹獅子舞の出発を見守っていました。
でも、、3匹獅子舞や田植踊、神楽など多くの演目が200年以上も継承されていた伝統芸能は地域社会が離散して、型の記録の保存だけでも容易ではありません。

〇学園祭や運動会の賑わいが戻る日はないかもしれません。

〇ここは、『人のつながり』『自然と共存した生活』を大切に暮らしがありました。
故郷を、100年先の子孫に残そうとしている人たちが少なくありません。

写真:馬場靖子/認定NPO未来といのち
文責:NPO未来といのち

原発事故から15年避難地区で生き延びた🐱の餌場風で倒れ 皆んなで修理
04/05/2026

原発事故から15年
避難地区で生き延びた🐱の餌場
風で倒れ 皆んなで修理

04/05/2026

住所

Koriyama-shi, Fukushima

ウェブサイト

アラート

認定npo法人 未来といのちがニュースとプロモを投稿した時に最初に知って当社にメールを送信する最初の人になりましょう。あなたのメールアドレスはその他の目的には使用されず、いつでもサブスクリプションを解除することができます。

ショートカット

  • 住所
  • アラート

共有する

カテゴリー