07/08/2026
【五十八歳の私が、二十三歳の私に伝えたいこと】
現在五十八歳、速いもので11月には五十九歳になります。
二十三歳のとき、私は精神科の閉鎖病棟にいました。心理士として働く側として、です。
あれから三十五年。
今も私は、あの場所のことを考えます。
鉛の扉。
鍵の音。
消毒液や布団のにおい。
古く薄明るい蛍光灯。
最初のころ、私は患者さんが怖かったんです。
正直に書きます。何を言われるかわからない、
何をされるかわからない。そう身構えていました。
でも、1週間もすると、
その身構えが、ぜんぶ見当外れなものとわかりました。
そこにいたのは、私が今まで会ったどの誰よりも、ピュアで優しい人たちでした。
ある方は、私が病棟に入った瞬間に、こう言いました。
「ずいぶん疲れてるね」
前の晩私はほとんど眠れていませんでした。
そのことは誰にも言っていません。
顔にも出していないつもりでした。
「わかるの?」と聞いたら、
その方は少し笑って、
「わかるっていうか、そう見えるだけ」と言いました。
別のある方は、
毎日、窓のほうを向いて座っていました。
話しかけると、
「今、聞いてるところだから」
と、静かに断られる。
何を聞いているのか、
私にはわかりませんでした。
でもその横顔は、
図書館で本を読んでいる人の顔と、
まったく同じでした。
集中していて、
邪魔されたくなくて、
そして――
楽しそうだった。
カルテには、
「幻聴」と書かれていました。
私は、その言葉を飲み込みつつも、
素直に頷けませんでした。
頷けなかった、というより、
それだけでは足りない気がした。
私は、診断を否定しません。
お薬を否定しません。
苦しい幻聴は、たしかに苦しい。
眠れない夜は、たしかにつらい。
それは病気だから、治すのではなく、
辛いから、和らげる。
では辛くしているのは何なのか。。
今振り返ると、
その方々が、私より正確に世界を受け取っていた瞬間が、確かにあった、ということです。
私が隠したつもりの疲れは、
隠せていませんでした。
私が「気のせい」で済ませていた部屋の空気を、その方々は、そのまま受け取っていました。
自我の壁が薄い、というのは、
そういうことだと思うのです。
世界を、フィルターなしで受け取ってしまう。
雨の音も、
隣人の不安も、
天井の照明のちらつきも、
同じ音量で、いっぺんに。
私たちは、
それを「無視する能力」を持っています。
便利です。
そのおかげで、電車にも乗れるし、
仕事もできる。
でも、その能力は、
受け取らない能力でもある。
だから私は、思うのです。
あれは、壊れているのではなく、
開いているのではないか。
開きっぱなしの窓から、
風も、雨も、鳥の声も、
全部いっぺんに入ってくる。
つらいのは、
感じることではなく、
(マジョリティの側も含め)
その能力を受けとめきれないことのほうです。
あれから35年が経ち、オステオパシーから色々なことを学びました。
私は、窓を閉めません。
私がするのは、
その風を、雨を、受けとめられる、からだをつくること。
受け皿を、静かに整えること。
頭蓋骨のわずかな動き。
背骨のこわばり。
呼吸の浅さ。
そういうところに、そっと手を当てて、
「変えよう」とせずに、待ちます。
からだが、自分で思い出すのを。
三十五年、この仕事をしてきました。
その間ずっと、
あの病棟の方々のことを考えていました。
私の治療家としての原点は、
教科書ではなく、
あの重い扉の内側にあります。
あそこで私は、
「治せる人」ではなく、
「教わる人」でした。
実は、今も、それは変わりません。
これからの時代のことを、
少しだけ書かせてください。
情報が増えすぎて、
言葉が速くなりすぎて、
みんなが少し、疲れています。
そういうときに必要になるのは、
もっと速く処理する力ではないと思うのです。
全体を感じる力のほうだと思うのです。
言葉になる前のものを、
そのまま受け取る力。
ひとつ、書いておきたいことがあります。
「感受性が豊か」という言葉を、
私はあまり使いたくありません。
「感受性」が豊かでない人など、わたしはいないと思えるからです。
あの病棟で私が見たのは、
ひとりひとり、まったく違う世界でした。
同じ窓の外を見ていても、
見えているものが違う。
同じ静けさの中にいても、
聞こえているものが違う。
その方にしか見えない色。
その方にしか聞こえない響き。
誰とも重ならない、
その人だけの世界が、
たしかにそこにありました。
私は、それを治そうとは思いませんでした。
治すも何も、
そこにあるのは、世界です。
世界を治すことは、できません。
ただ、その世界には、
まだ扉がついていなかった。
内側に、豊かなものがあるのに、
外とつながる道がない。
だから苦しい。
見えているのに、伝えられない。
聞こえているのに、共有できない。
閉じ込められているのは、
その人ではなく、
その人の世界のほうでした。
私がしたいのは、
その扉を、少しだけ開けることです。
こじ開けるのではありません。
からだがゆるむと、
不思議なことに、感情が出てくる。言葉が出てくる。
言葉が出てくると、
つながりはじめる。
つながりはじめると、
その世界は――
花開きます。
あなたにしかない、美しい世界が
花開く時代へ。
私は、そこへ向かっていると思っています。
みんなが同じものを見て、
同じことを言い、
同じ速さで動く時代は、
そろそろ終わります。
これからは、
その人にしか見えないものが、
いちばん大事になる。
隅っこで、静かに、
申し訳なさそうに座っている必要は、
ないのです。
最後に。
もし今、あなたが
「見えるもの」「聞こえる声」を抱えていて、
それを誰にも言えないでいるなら。
言わなくていいです。
でも、
なかったことにも、しなくていい。
私は、否定するところから始めません。
症状なのか、感性なのか。
私は、決めません。
決めなくても、
からだをゆるめることは、できます。
五十八歳の私が、
二十三歳の私に伝えたいことは、
ひとつだけです。
あの病棟で会った方々は、
少し早く来ていただけだった。
時代のほうが、
やっと追いついてきました。
どうぞ、深呼吸をひとつ。
あなたの中の、
まだ名前のついていない世界へ。
それが花を開くまでの道のりを、
一緒に歩いて行けたらと思います。