健康づくり

健康づくり 健康を守り育てるためには、
(1)正しい栄養
(2)適度な運動
(3)十分? 生涯にわたって動くこころとからだをつくり、守るための支援をします。

03/08/2026

皆さんは、リラックセーションの効能をご存じでしょうか。
「何もしない」というリラックセーションはスポーツに役立つだけでなく、職場でも学校でも皆さんの生活のあらゆる面でプラスを生み出すでしょう。
ジュリウス・メンデスは、あの伝説のモハメッド・アリなど数多くのボクサーを育てたボクシングの世界では有名な名コーチです。ジュリウス・メンデスは言います。
「ハイレベルの試合ではずいぶんプレッシャーがかかる、ここが勝負の分かれ目です。すべての条件が同じなら、プレッシャーのもとでリラックスする能力、追いつめられても実力の出せる能力がチャンピオンに必要なものなのです」と。
勝つためには緊張を解きリラックスすることが重要だと述べています。緊張した状態になると不必要に筋肉が収縮して実力を発揮できません。
なぜ筋肉が収縮していると実力を発揮できないのか、といえば、それは次のような理由によります。たとえば左腕を伸ばす筋肉と左腕を曲げる筋肉とは一対を成していて、二つの筋肉は互いに拮抗しています。緊張した状態になると、双方の筋肉が同時に収縮してしまい、ダイナミックな動きの妨げとなります。
また循環噐系統への悪影響も明らかです。実は、筋肉は、収縮と弛緩を繰り返すことで 血液の循環を助けているのですが、血行の不順が生じると筋肉に酸素や栄養物質が十分に届かなくなってエネルギーが不足し疲労が蓄積していきます。筋肉が収縮していると血液が自由に流れないので簡単なことでも継続することができなくなってしまいます。筋肉が収縮していると反応時間が遅くなり、疲労感が増してしまうのです。
では、緊張状態になったとき、どこをどのようにリラックスさせるべきでしょうか。
その秘訣は、すぐに仕事をしなければならない筋肉を除く、すべての筋肉をリラックスさせることです。
リラックスするための唯一の禁止事項は、「がんばり過ぎるな」です。がんばり過ぎると、からだを緊張させてしまいます。リラックスしようとすればするほど緊張します。100パーセントの力を出そうと考えず、90パーセントくらいの力を出そうと考えた時に、緊張が解け100パーセントの力を出せるのです。

16/07/2026

オートファジーというとても不思議な現象があります。
オートファジーという言葉は、「自己」を意味するオートと「食べる」を意味するファジーを合成した言葉です。つまり、「自己を食べる」と訳されます。オートファジーは、生命にとってたいへん重要な役割を果たしています。
生物は、壊れそうになるたびにたえず秩序を作り直すことを繰り返しています。細胞の中身を分解して新しいものを合成することで、細胞の中身がすべて入れ替わり、健康な状態を保つことができます。たんぱく質はアミノ酸に分解され、そのアミノ酸は再利用されます。つまり、リサイクルシステムになっているのです。
オートファジーによる細胞の分解と合成は、伊勢神宮の式年遷宮とよく似ています。伊勢神宮は、式年遷宮といって、20年に一度すべてを建て替えています。細胞の中の新旧の物質が入れ替わっていますが、全体としては変化しておらず恒常性が保たれています。これを動的平衡といいます。
細胞内の物質が壊れたから分解しているのではなく、たえず「先回り」して分解しているのです。生命は、時間に流されれば、やがて崩壊し、滅亡してしまいます。時間に逆行しているから秩序を維持することができるといえます。「先回り」している、というのは、時間を作り出しているともいえます。
『動的平衡』の著者福岡伸一は生命は、「時間をかせいでいる」と言っています。言い換えると、生命は、誕生から死に到るものさしの目盛りを拡げているともいえるでしょう。
生命現象は、分解と合成という互いに矛盾する営みが自己同一的に、あるいは動的に行われることによってうまく秩序を維持しているのです。

02/07/2026

やせたい、太りたい、健康になりたいなどの目的のために食事をとることが増えているようです。しかし、本来食事はそのような目的のためにとるのではなく、食事は食欲を満たし、楽しむものであるはずです。
では、食をみなおし、楽しむためには何が必要でしょうか。
道元禅師は、「威儀即仏法」といい、行住坐臥、日常のすべての立ち居振る舞いが大切な修行の場であり、食生活についても食べ方の作法がそのまま仏法であると教えています。
また、「修証一如」という言葉があります。修とは修行のことで、証とは悟りのことです。道元禅師は修行と悟りは一体であると説いています。悟りと修行を目的と手段とに分けて考える危険性を戒めているのです。純粋であるべき修行と悟りを欲望で穢(けが)してはいけないという教えです。
食をみなおすには、まず自分のからだが何を必要とし、本当にそれをほしがっているのかどうかを感じとることが必要ではないかと思います。
また、消費カロリーと摂取カロリーというエネルギーの出納バランスにも注意する必要があります。なぜならば、エネルギーの出納バランスに注意を払うことで、自分のからだのコンディションの変化が自ずとわかってくるからです。消費というのは主に身体活動のことで、摂取というのはつまり食べることです。
「食べたいときに食べたいものを食べる」という食事ではなく、自分のからだのコンディションに適した量をとることが重要なのです。

23/06/2026

健康な生活を送りたいと思う人は、まず生活にゆとりをもつことが大切です。仕事ばかりして遊びを知らない人は疲労が蓄積して体調を崩します。遊ぶことばかりで仕事に熱中しない人は、これまた困りものです。
何時に起床し、何時に就寝するのか、きちんと計画をたてて実行します。規則正しい生活習慣の中に趣味など気晴らしの時間を挿入し、生活にゆとりをもたせるようにこころがけることです。
人間はリズムをもって生活しています。呼吸、脈拍、食事、排便などすべてリズムです。リズムが乱れると体調を崩します。体調が崩れると、心の健康も損なわれてきます。つまり、健康を保つためには、リズムを大切にすべきだということになります。
道元禅師の、
「無常たのみ難し、知らず露命(ろめい)いかなる道の草にか落ちん。身すでに私にあらず。命は光陰に移されてしばらくも停(とど)め難し」
という言葉があります。
ありとあらゆるものが、少しも停まることなく移り変わり、私たちの命もまた例外ではありません。道元禅師は、一瞬一瞬を大切に生きなさいと説いています。
また、法句経というお経に、次の教えがあります。
人間に生まるること難し
やがて死すべきものの
いま生命あるは有難し
数多い生物種の中で人間として生を受けるということは奇跡のようなことです。この受け難い人身を受けても、生命には限りがあります。今ある生命を大切にして勉学に勤労に励げまなくてはなりません。
高齢になると時間の経過がもっと速く感じられることになります。この先何が起こっても自分を見失わず、ゆとりをもって生活できるように、日本民族の伝統であるこの時間の観念を忘れないようにしたいものです。

03/06/2026

「身体感覚」というと皆さんはどのように理解されるでしょうか。一般には、いわゆる五感を含む感覚すべてを指すものと理解されることが多いようです。しかし、生理学では五感のような外界からの感覚以外で筋肉や関節の動きの感覚を身体感覚と言います。筋肉が緊張した状態や弛緩した状態の感覚です。
身体感覚は、最も根源的な感覚です。環境との関係の中で、環境に適応するためには、動きに関する何らかのフィードバックがなければなりません。したがって、心にかかわる問題について考察するときにも、身体感覚が重要な役割をもちます。
からだの状態は心の状態に深くかかわりをもっています。たとえば、突然蛇を見たときに心拍数が多くなることからも分かるように恐怖心と筋肉の緊張とは密接に関連しています。ここに「心身一如」の現象が見られます。
人間の動きには、意志によって制御できる随意性と、反射的で生得的な不随意性と二つの性質があります。随意性とは、わたしの意のままにできること、不随意性とは、わたしの意のままにならないことを言います。これは分かりやすい分類ですが、少し単純すぎるところがあります。動きには反射的でもあり、意志的にも制御できるといった両方の性質をもつものがあります。たとえば、呼吸です。睡眠中は反射的に呼吸しています。一方深呼吸をするときは、意志的に呼吸しています。このように呼吸は異なる二つの反応をしています。したがって、このような性質をもった動きは、単純に随意性や不随意性という分類を適用するわけにはいきません。それ以上に、人間のからだの働きというのは、実はそのほとんどが不随意性で無意識的に行われています。自分のからだは自分の思い通りにならないというのが事実です。その事実から目を背けることはできません。その事実を深く理解し、受け容れて生きることこそがからだと心を健康に保つ秘訣なのです。
からだが健全でなければ心の安寧(あんねい)を得ることなどできないでしょう。人間の意志的な努力を手放し、からだと心を自ずからなる働きに任せておおらかに生きることで、そこから起ち上がってくるものを受け容れることのできる能力が培われてくると思います。
「そうする」から、「そうなる」という発酵のような進化は、「自分のからだは意志的にコントロールできない」という深い気づきがなければ起こらないでしょう。

14/05/2026

東洋思想は、自然界に存在するあらゆるものは「陰」と「陽」に分けられると説いています。
陰陽論の起源は古代中国ではじまったものと思われます。約三千五百年前の文献に明らかです。
陰陽とは、男と女、昼と夜、生と死など両者を対立する関係とみます。しかし、どちらか一方だけでは成立せず、互いに切り離すことができない関係であるという考え方をもっています。
陰陽のなりたちは、渾沌たる一元からはじまり、それが陽と陰に分かれ、陽を天となし、陰を地となします。陽と陰が極限にいたり地の気が上って雲となり、天の気は下って雨となり、天地が再び交流合体して万物を生ずるというのが陰陽論の公理となっているのです。
東洋医学はこの陰陽論に立脚しています。心身の陰陽のバランスが保たれていれば健康、崩れていれば病気と考えます。
たとえば、陰の力が足りない場合は潤いが不足します。陽の力が足りない場合は冷えの症状がでてきます。
足りないものを補い、過剰なものは排泄することでバランスを調えます。それによってカラダが元の機能を回復するような治療を行います。
東洋医学では、カラダの一部に表れた異常をカラダ全体の問題ととらえます。病気の根本の要因は、多くの場合、異常が見られる場所自体にあるわけではありません。「なんとなくいつもと違う」「食欲がない」「よく眠れない」などといった変調はその部分だけの問題ではなく、心も含めた全体的なものです。
近代科学は物質主義の上に成り立つものですから、個々の事実を分析して解明することには優れていますが、複合的なものを総合的に捉えようとすると相互の関聯がつかず正しく理解するのは容易なことではないでしょう。これが近代科学の大きな欠陥になっています。
規則正しい生活習慣をこころがけることも病気が本格的に発症する前の「未病」を治すことになります。東洋医学は予防医学なのです。

30/04/2026

今日の生活習慣は肩こりや腰痛をおこしやすいようになっています。たとえば、机に向かって猫背で首が前に傾いた姿勢を長く続けると首や肩の筋肉が緊張します。あるいは、腕を宙に浮かせた姿勢をつづけるために、僧帽筋を連続的に緊張させて肩こりをおこします。
腰痛も、脊柱起立筋などの筋肉の緊張が長く続くと、血行が悪くなって、老廃物がたまり、そのまわりの神経を刺激して痛みをおこすのです。また、慢性の腰痛は、自律神経の失調のために起こりやすくなります。精神的ストレスが重なると無意識的に筋肉が緊張するものです。
たえず緊張している筋肉は硬くなってしまいます。その結果筋肉内部の圧力が高まり、筋肉の中を走っている血管を圧迫するために、血液の流れが悪くなります。血行が悪くなると酸素の供給が不十分になって、筋肉の収縮に必要とされるブドウ糖の不完全燃焼をおこします。さらにこの筋肉の緊張状態を長引かせておくとそこに炎症がおこり、痛みにまで発展していくのです。
筋肉をゆるやかに伸ばすことで多くの腰痛、肩こりは治療できるし、予防もできます。
腰痛、肩こりの原因となるものに次のようなことが考えられます。
①不自然な姿勢
ふつう骨盤は前方に約30度傾いています。その傾きが大きくなって脊柱前彎(せきちゅうぜんわん)という変形を起こし、腰に痛みをもたらすことがあります。
②運動不足
歩かないと足腰の筋肉が弱くなると同時に関節の可動域も小さくなっていきます。関節に接している筋肉や靱帯などの結合組織が正常に働かなくなれば関節の可動域は限定されてしまいます。その結果、足腰を支える脊柱起立筋への負担は大きくなります。健康を維持するためには関節の可動域を大きく保つことが大切です。また、運動不足によって血行が悪くなることも多くの人は気づいていません。
③精神的緊張
筋肉の興奮を大脳に伝える神経を知覚神経と呼びます。いつも神経をはりつめている生活では、首や肩の筋肉は相当緊張するものです。私たちの気持をイライラさせているのは、知覚神経がいつも興奮させられるからです。その興奮が脳に送られてイライラを増幅します。
ほとんどの腰痛、肩こりは筋肉をゆるやかに伸ばすことによって解消されます。なぜならば、それらの共通した問題点は、柔軟性の欠如、筋の過緊張といったものだからです。

17/04/2026

皆さんは、運動が健康にいいということはご存知だと思いますが、ではなぜ運動は健康にいいのでしょうか。
カラダを動かすことはエネルギーを消費することだというのは、カラダを動かした後にお腹が減るので経験的にわかります。では、エネルギーを取り入れるのではなく、エネルギーを消費する運動がなぜ健康にいいのでしょうか。それは「エネルギーを消費する過程がエネルギーを供給する過程を変える」からなのです。
どういうことかと言いますと、カラダの中に備蓄している限りあるエネルギーから大量のエネルギーを利用できるようにするためにはエネルギー供給システムを効率化する必要がありますが、エネルギーの消費過程そのものがそれを行っているというわけです。これこそが生命が環境の変化に適応するために獲得した適応能力であります。
カラダは繰り返しエネルギーを消費することによってエネルギー供給システムを生命維持に適したシステムに強化していくのです。
たとえば、人間は高所にも馴化します。二、三週間のうちに、低地と同じように活発に歩き、走るようになります。酸素が希薄な高所に長期間滞在したときは血液の中に酸化ヘモグロビンとして存在しているヘモグロビンと酸素との結合力を弱め、少量の血液で組織が必要とする大量の酸素を運搬できるように適応する事実があります。
動物はカラダを動かさなければ、内部環境の「恒常性」を健全に維持できないほどに、運動が生命の維持に不可欠のものとして運命づけられています。
動物は、食物を採取したり、害敵から身を守ったり、安全を確保するために「移動」という手段を用いることができますが、人間が他の動物と違うのは、単に「移動」を適応のための手段として用いるだけでなく、この適応能力を高めることができることを知っています。またこれをうまく活用することができます。
私たちは、この人間が本来もっている優れた適応能力を善用すべきでしょう。社会的使命を果たすためにも適応能力を高めることが、その第一歩になります。

02/04/2026

私たちは、真の自己を確立するために、何をなすべきか、何をなさざるべきかを、正しく判断し、自由な意志をもって実践しようとするのですが、しばしば思うにまかせぬ自分自身に遭遇することがあります。
善を欲しながら、これを行うことなく、かえって欲しないところの悪を行う自分自身を見出し、大きな疑問を抱きます。人間には果たして自由意志などというものがあるのだろうか、という疑問です。
仏教経典の中に「アーラヤ」という言葉が記されています。「アーラヤ」という言葉は古代インドの言語サンスクリットで、「欲望」もしくは「貪欲」を意味していると考えられています。
中国の学僧たちがこの「アーラヤ」の音をそのままに写して「阿頼耶」と翻訳しました。
いわゆる唯識学派の学説では、煩悩というものは、この「阿頼耶」によって生じるのだといいます。
見たこと、聞いたこと、考えたことが自動的に処理され、自覚的に意識にのぼらないうちに私たちの行為を左右するのです。
今日では、人間の意識下の深いところに蔵されているものを明らかにしようとする深層心理学的な研究が進められています。
フロイト(1856~1939)やユング(1875~1961)が無意識の心の存在を提唱したのは70年ほど前のことですが、心の問題を深く考察してきた仏教では1600年前にすでにその存在を説いています。
草木は、時がきて芽を生じ、花を開き、実を結びます。私たちは、ともすればそのいとなみに眼をうばわれていますが、それらの現象は地下の眼に見えないところに存在する種子に本源があります。それと同じように、人間の意識、思考は、私たちの意識下の深いところに蔵されている言葉では表現のしようのないものによって生じてくるのです。それが「阿頼耶」と呼ばれるもののいとなみなのです。
私たちはどのように自分が行動しているか自分の行動に深く注意を払う必要があります。
仏教では、まず心をととのえて、それにしたがって物言い、行うがよいとします。自分の心を鎮め、慎重に行動することは、いずれは必ずよい結果をもたらすはずです。自分の中に知りえない何者かがあって、この混沌としたものが種子となって花を咲かせるのです。

住所

福岡県行橋市行事5丁目5/3
Yukuhashi-shi, Fukuoka

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